執筆者からのメッセージ
「孫メ」の輪がどんどん広がっていく



根羽村のネバーギブアップ
限界集落と言われた村を見事に復活


小木曽 亮弌さん(長野県根羽村長)
平成の大合併に組みしなかった。
「平成16年1月に、根羽村のネバーギブアップ宣言を出しましたよ」と根羽村長の小木曽亮弌さん。
「根羽のネバーギブアップ」。なかなか語呂もいい。
平成の大合併の中になって、とうとうそれに組みしなかった。

林業しかない根羽村にあって、自治体としての維持は困難を極める。
しかし、困難だからこそ智恵を絞り、なんとか独り立ちできる村を作り上げてきた。
限界集落と言われた村を見事に復活させた男。
就任19年目の小木曽村長にはそんな自信がみなぎる。
最後の製材業者を村営に
長野県の最南端。
長野県とはいえ名古屋文化圏の根羽村。
お隣は合併で大きくなった豊田市だ。
村域の92%は山林であり、世帯数は450戸、人口は1200人弱。
田畑はごくわずかで、林業で食っていくしかない。

だが、林業は安い外材に押されて、村にあった4つの製材場は次々に廃業に追い込まれていく。
最後の1社が廃業すると言った時、小木曽村長は村で買いたいと申し出た。
その時、議会の大反対に遭う。
「そんな借金、赤字を背負ってどうするつもりか」と。
「この村は林業しかない村。それを捨てたらどうなるのか。ここは頑張るしかない」。
小木曽村長は身を挺して押し切った。

大型機械を導入し、村の宝である根羽杉の住宅への売出しを始めた。
それが功を奏し、立派な黒字経営に育つ。
村は他にも、乳業から乳製品を加工したり、観光を売り物にした「ネバーランド」を営業。
これも見事に黒字化した。
第3セクターで黒字を達成するのは、お見事というしかない。
上下水流で、全国第1番目の契約
運にも恵まれた。
根羽村を水源とする矢作川は、愛知県の安城市に流れ込む。
ここで、日本のデンマークと言われる豊かな農村を支えている。
遠い昔から「水を使う者、水を作るべし」という崇高な考えを掲げてきた安城市と手を結ぶ。
いわゆる上下水流の協力関係だ。
平成3年、「森林整備協定」に基く、全国第1号の契約だった。

国と戦って一部の伐採を止める事に、安城市が1億5000万円を捻出してくれたのだった。
翌年、不思議なことに、今度は国から大きく評価される。
平成4年、時の宮澤喜一首相から総理大臣表彰を受けた。
緑化推進運動功労団体としての受賞だった。
親子三代で林業を受け継ぐ
「親父が杉を植え、子供が育て、孫が刈り入れる」。
林業は親子三代に亘る連携が必要な事業だ。
小木曽村長の「孫へのメッセージ」は根羽村だけにとどまらない。
全国の村に、強力なメッセージを投げかけることになるだろう。

(荒井 久)



天然記念物にも指定された猟犬「川上犬」
種の根絶を救った感動の秘話があった


藤原忠彦さん(川上村村長、川上犬保存会会長)
「孫へのメッセージ」―私も書いています
川上村は長野県の山梨県に近い山間の村です。
今や、高原野菜の出荷ナンバーワンとして有名になりました。
昔は蕎麦ぐらいしか栽培できなかった寒村でした。
ところが今は、農家の平均年収は2000万円にもなりました。

私はここの村長として早20年以上、6期目に入っています。
愛する郷土、川上村のために命を捧げてきました。

この村にはもう1つ大事なことがあります。
地犬の川上犬のことです。
極寒の山間ゆえに、他との交配から守られたのです。
その後、長野県や国の天然記念物にも指定されました。
人間には絶対的な服従をする一方で、勇猛果敢な猟犬です。
国から犬を殺せと命令される
ところが、終戦間際に悲しいことがありました。
人間と同じものを食べる犬は駆除せよ、と国からの命令。
それほど、日本の食糧事情は悪くなっていたのでした。

川上犬も例外ではなく、虐殺に遭うことになりました。
その時、私の父はなんとか、この「つがい」だけは残したい。
そう思って、目立たない隣村の知人宅に預けたのでした。

「川上犬が絶滅」
まもなく掲載された新聞記事に、その知人は衝撃を受けたそうです。
「なんとか、このつがいだけは守らねばならない」
「命をつなげなくてはならない」
そう思ったそうです。
命をつないだ川上犬は今や300匹に
その後、その「つがい」が命をつなぎ、10匹にもなっていたのでした。
「種」は残り、今や、300匹以上を数えるまでに増えました。

現在、私は川上犬の保存会長も務めています。
愛する我が郷土、川上村のこと、そして大好きな川上犬のこと。

これらを記録に残したい。
そう思って、「孫へのメッセージ」を書き始めました。



全国の農村にCATVを普及させて
地域の情報化に貢献した立役者


坂尾 彰さん(日本農村情報システム協会副会長)
「孫へのメッセージ」―私も書いています
昭和4年生まれの私は昨年、喜寿を迎えました。
ところがまだ、私は孫の顔を見ていません。

そんな私が、どうして「孫へのメッセージ」を書くことになったのか。
自分の孫へというよりも、孫世代に向けて、メッセージを残したいと思いました。

私は縁あって、農村の情報化に命を捧げてきました。
昭和50年のことです。
それまで経営していた会社を投げ打って、この協会の立ち上げに参画したのでした。
それほどまでに、自分がやらなければという気持ちが強かったように思います。
「縁の下の力持ちが、最も必要なんです」
以来、30年以上、この協会と共に生きてきました。
全国の百数十カ所もの農村地域にCATV施設の開設を推進してきました。
防災行政無線の多目的活用も進めました。
そのための技術の標準化も大きな仕事でした。

一昨年、この協会の創立30周年記念として、その歴史をまとめました。
関係の皆様への謝恩パーティも実施いたしました。
その意味では一区切り付いた気もします。

しかしまだまだ、これからです。
世はユビキタス・セットワーク時代になりました。
これらにも対応していかねばなりません。

私のモットーは「縁の下の力持ち」です。
新しいことを創めるには旗振りも必要です。
しかし、もっと必要なのは、実は縁の下の力持ちです。

私は、その積もりでやってきました。
そんな私が昨年11月3日、旭日小綬章をいただいてしまいました。
本当にありがたいことです。

「孫へのメッセージ」は世間様への、私の恩返しなのです。




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