執筆者からのメッセージ
「孫メ」の輪がどんどん広がっていく



「生きる本質をもっともっと伝えたい・・・」
「つまるところ、僕は人間が大好きだから・・・」


松本悠輝さん(松本内科循環器科クリニック院長)
大学などの専門勤務医を経験、大分に根付く
「健康とは生きる活力」
「生きる本質をもっともっと伝えたい・・・」
「つまるところ、僕は人間が大好きだから・・・」

優しいまなざしの奥から、見出しになる言葉がぽんぽんと飛び出した。
大分県の松本内科循環器科クリニック院長の松本悠輝先生の発言だ。
東京・赤坂の赤坂プリンスホテル。
学会のパーティを抜け出してくださった。

実は松本悠輝先生。
超多忙の合間を縫って、ようやくお会いできた。
4月26日、土曜日の夜。

いきなり語ってくださった少年時代の悩み、苦しみ。

最初の大学は薬学部だったものの。
別大学の農学部に入り直し。
やっぱり、どうしてもと医学部に入り直す。
それが大分医科大学だった。

その後は大学などの専門勤務医を経験、大分に根付く。
専門を生かして同クリニックを開院したのは10年前のことだ。
http://www.matsumoto-naika.com/
「つまるところ、僕は人間が好きだから・・・」
少年の頃の悩み、苦しみから抜け出し、3つもの大学で多くを学び。
どういう心の経由で「人間が大好きだから・・・」にたどり着いたのか。
僕にはそこが不思議でならなかった。

「孫メでそのことを書いていただけませんか」
「そう、だから書きたい。記録に残したいんです」
「今、教えている学生にも参考になればと思うのです」

「それと・・・」と続きがあった。
大学の芸術学部に通うお嬢さんのことだった。
赤ちゃんの頃に頭に火傷をさせてしまい。
未だに、その心の償いや自分の生き様の説明ができていないと言う。

「だから、僕の書きたいのは娘へのメッセージなんです」と笑う。
院長として、開業医として、学校医として、大学の講師として。
さらには地域医療で様々な活動がある。
多忙故に、子供らとのコミュニケーション不足だったのだろうか。
「結局、僕は2冊書きたい」
自分史として次世代に残したいものが1冊。
そして、娘に特化したメッセージが1冊。
超多忙を走り続ける55歳のドクター。
代筆ではなく、どうしても、自分自身で書きたいという。

「娘が40歳になった時に、今書いたメッセージを理解してくれるかも」
「それでも、今、書いておくことが大事だと思うんです」
松本悠輝先生の眼がキラリと輝いた。

(荒井 久)



天然記念物にも指定された猟犬「川上犬」
種の根絶を救った感動の秘話があった


藤原忠彦さん(川上村村長、川上犬保存会会長)
「孫へのメッセージ」―私も書いています
川上村は長野県の山梨県に近い山間の村です。
今や、高原野菜の出荷ナンバーワンとして有名になりました。
昔は蕎麦ぐらいしか栽培できなかった寒村でした。
ところが今は、農家の平均年収は2000万円にもなりました。

私はここの村長として早20年以上、6期目に入っています。
愛する郷土、川上村のために命を捧げてきました。

この村にはもう1つ大事なことがあります。
地犬の川上犬のことです。
極寒の山間ゆえに、他との交配から守られたのです。
その後、長野県や国の天然記念物にも指定されました。
人間には絶対的な服従をする一方で、勇猛果敢な猟犬です。
国から犬を殺せと命令される
ところが、終戦間際に悲しいことがありました。
人間と同じものを食べる犬は駆除せよ、と国からの命令。
それほど、日本の食糧事情は悪くなっていたのでした。

川上犬も例外ではなく、虐殺に遭うことになりました。
その時、私の父はなんとか、この「つがい」だけは残したい。
そう思って、目立たない隣村の知人宅に預けたのでした。

「川上犬が絶滅」
まもなく掲載された新聞記事に、その知人は衝撃を受けたそうです。
「なんとか、このつがいだけは守らねばならない」
「命をつなげなくてはならない」
そう思ったそうです。
命をつないだ川上犬は今や300匹に
その後、その「つがい」が命をつなぎ、10匹にもなっていたのでした。
「種」は残り、今や、300匹以上を数えるまでに増えました。

現在、私は川上犬の保存会長も務めています。
愛する我が郷土、川上村のこと、そして大好きな川上犬のこと。

これらを記録に残したい。
そう思って、「孫へのメッセージ」を書き始めました。



全国の農村にCATVを普及させて
地域の情報化に貢献した立役者


坂尾 彰さん(日本農村情報システム協会副会長)
「孫へのメッセージ」―私も書いています
昭和4年生まれの私は昨年、喜寿を迎えました。
ところがまだ、私は孫の顔を見ていません。

そんな私が、どうして「孫へのメッセージ」を書くことになったのか。
自分の孫へというよりも、孫世代に向けて、メッセージを残したいと思いました。

私は縁あって、農村の情報化に命を捧げてきました。
昭和50年のことです。
それまで経営していた会社を投げ打って、この協会の立ち上げに参画したのでした。
それほどまでに、自分がやらなければという気持ちが強かったように思います。
「縁の下の力持ちが、最も必要なんです」
以来、30年以上、この協会と共に生きてきました。
全国の百数十カ所もの農村地域にCATV施設の開設を推進してきました。
防災行政無線の多目的活用も進めました。
そのための技術の標準化も大きな仕事でした。

一昨年、この協会の創立30周年記念として、その歴史をまとめました。
関係の皆様への謝恩パーティも実施いたしました。
その意味では一区切り付いた気もします。

しかしまだまだ、これからです。
世はユビキタス・セットワーク時代になりました。
これらにも対応していかねばなりません。

私のモットーは「縁の下の力持ち」です。
新しいことを創めるには旗振りも必要です。
しかし、もっと必要なのは、実は縁の下の力持ちです。

私は、その積もりでやってきました。
そんな私が昨年11月3日、旭日小綬章をいただいてしまいました。
本当にありがたいことです。

「孫へのメッセージ」は世間様への、私の恩返しなのです。




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